絶対国防圏
海軍は太平洋を主な戦場とし、陸軍は中国大陸と東南アジアを主な戦場としており、その攻撃・防御は機能は分かれていたが、絶対国防圏と設定した地域は陸軍が設定したものに近いものであった。しかしながら、シーレーン防衛能力からして、すでに広範囲な地域を戦場とすることは事実上出来なくなっていた。
絶対国防圏設定後も、海軍はその外側に位置する地域の保持にこだわったため、国防圏内で防衛体制の構築が後回しになる拠点があった。重要拠点であるサイパン島についても、防衛体制が整う前にアメリカの攻撃を受けることになった。
圧倒的兵力差もって侵攻する米軍に対し日本兵はよく戦ったが、既に制空権、制海権を失っておりマリアナ沖海戦、サイパン戦などで大敗を喫し、サイパンを失った。
大本営陸軍部の一部ではマリアナ方面(サイパン・グァム等)が一挙に突破されるのではという疑念を持ち、この頃から南西諸島(沖縄)の防衛についての研究が行われるようになった。
マリアナを占領した米軍はSaipan・Tanianなどに基地建設をすすめ、関東地方への爆撃を本格化した。10月にはレイテ・台湾沖で日本軍は戦艦などに爆撃をうけ多大な損失をだした。日本軍が策定した絶対国防圏を突破した米軍は、45年2月に硫黄島に上陸し占領、その激しい地上戦は、「悲劇の島・沖縄の戦い」の前哨戦だった。
沖縄の防衛は「皇土防衛と南方圏の交通の確保」が主眼とされ、作戦準備は「航空作戦準備を最重点」とされた(十号作戦準備要項参謀総長指示)。このことは最後まで沖縄32軍と大本営の意思統一を欠くこととなり、戦後も本土防衛の捨て石とされた沖縄(沖縄は皇土ではなかったのである)に大きな禍根を残す結果となっている。



